どうしても感謝できないとき、これさえ知っておけば心配ないさぁ~♪
「親に感謝しましょう」「感謝するのは大切です」
これは誰もが耳にしたことがあると思います
頭では感謝しなきゃいけないと分かっているけど、感謝できないこともある
そして、そんな自分を責めてしまうことがあるかもしれません
また、感謝感謝と言ってるのを聞くと「うるさい、うざい」と感じてしまう
そもそも感謝がどういうものなのかわからないってこともあると思います
そんな感謝についてお伝えしていきます
目次
どうしても感謝できないときに知っておくこと
感謝とは ありがたく思って礼をいうこと。心にありがたく感ずること
「ありがとう」とお礼を言ったり、心でありがたいと感じていれば感謝していることになります
それでも感謝が足りないと感じてしまうのは自分自身の感情を疑っているからです
感謝は頭で考えるものではなく感じるもの
私たちが普段感じている「喜怒哀楽」
良いことがあれば喜ぶ
腹の立つことがあれば怒る
辛いことあれば哀しくなる
感謝も「感謝しよう」と思ってするのではなく
感謝とは自然に沸き上がってくるものです
親に感謝できなくても大丈夫
多くの方が子供の頃に周りの大人達から「感謝しましょう」と教えられてきたと思います
感謝できないことに悩んでいる方の多くは「親に感謝できない」ことに罪悪感を感じているのではないでしょうか
真面目過ぎるがあまり、教えられた通りに感謝できない自分を否定してしまうのです
感謝というのは自然に沸き上がってくるもの
だから感謝しようと頑張らなくてもいいんです
感謝は「人に押し付けるものでもなければ、人から押し付けられるものでもありません」
押し付けられると反発したくなるのが人間です
感謝できないことへのいら立ちと、やりたくないのにやらされてる感がストレスとなり、何かにぶつけたくなるのです
感謝できない自分を責めるのではなく、自分の素直な感情に耳を傾けて、そのままの自分を認めてあげてください
外に感謝の答えはない
自分と周りの人を比較して「感謝できない自分は普通じゃない」と思ってしまう…
その、普通とは何を基準に言うのでしょうか?
「普通、常識、思い込み」に囚われていると、本当の自分が見えなくなってしまいます
同じ「嬉しい」でも感じ方は人それぞれ違います
他人の心は本人にしか分かりません
外に正しい感謝の答えがあると思っていると「これは感謝とはいえない」と自分の感情を疑い、次第に「本当の感情」に鈍感になってしまいます
少しでも良かったと思えたり「ありがとう」って言えたなら、それだって感謝したことになります
関連記事→【本当の自分がわからない】セルフイメージ次第で人生は変わる
感謝のハードルを下げる
「ありがとう」という言葉に抵抗を感じてしまう人もいると思います
自分が言う「ありがとう」だけなく、人から言われる「ありがとう」
または「ありがとう」を多用している人を見ると「おかしい何か裏があるんじゃないか?」「気持ち悪い」と違和感を覚えてしまう
それは、感謝を重く捉えてしまっているからではないでしょうか
感謝のハードルが高いため、感謝とは「こうあるべき」「こうするべき」という自分で考えた基準に満たないと「こんなことで感謝すべきではない」と思ってしまうのです
誰かから「ありがとう」と言われても素直に受け取れないのは、自分のしたことに「お礼を言われる価値がない」と思っているからです
「ありがとう」と言ってくれた相手だけでなく自分のことも否定してることになります
そのままの自分を受け入れていないため人の言葉も受け入れることができないのです
関連記事→自己肯定感が低いとどうなる?自分を好きになるための考え方と行動
「あたりまえ」が感謝をなくす
あたりまえという気持ちが感謝を薄れさせてしまいます
お金を払っているのだから「あたりまえ」
親が子供を育てるのは「あたりまえ」だから感謝しないくていい、そう思ってしまいます
普段、あたりまえと思っていることも、自分の力だけでは存在しません
自分がいて、さらに誰かがいるから世の中は成り立っているのです
まずは、あたりまえだと思うことにも何かしてもらったら「ありがとう」と言うようにしてみましょう
たとえば、店員さんや接客をしてくれた方に「ありがとうございます」と言ってみるなど
はじめは抵抗があるかもしれませんが、言っているうちに身近なところにある小さな感謝に気づくはずです
関連記事→言葉には力が宿る?肯定的な言葉を言い続けたらどうなるか試してみた
見えないものを信じると感謝が沸き上がってくる
感謝は「人」「モノ」「出来事」など、言葉や形で表せる対象だけに示すものと思っていると、感謝が分からなくなります
「何に対して感謝すればいいかわからない」そう思うのは形あるものしか信じていないからです
感謝を表すときの言葉といえば「ありがとう」ですよね
ありがとうは「めったにない」「めずらしい」を意味する「有り難し」という言葉が語源である
何かの働きによって、あるはずのないものがあるから「ありがとう」と言います
ケガをしても時間が経てば傷は自然にふさがります
暑くなれば自然と汗が出て体温を調節してくれます
身体の働きはとても有り難いものであり
私たちの命そのものに感謝なのです
なかには「生まれてこなければよかった」と思う方もいるかもしれません
私もそう思ったことはあります
五体満足で生まれて命の有難さに気がついていなかったからだと思います
私も頭では命の有難さを分かっていたつもりでしたが、つもりでは分かっていないのと同じでした
実際に色んな経験をして心理や生き方について関心を持ち「心と身体の関係、この世の仕組み」を学び
「見えないものに守られているありがたさ」がストンと心に落ちたとき、何とも言えない心地よい温かさを感じて「ありがとうございますぅ(ノДT)」と号泣しました
感謝とは自らの経験を通して感じていくものだと実感しました
相手に感謝してもらえないとき
誰かに何かしてあげたら「ありがとう」と言って喜んでもらいたいですよね
ですが、必ずしも相手が感謝の気持ちを返してくれるとは限りません
たとえば、それが相手にとって有りがた迷惑だったり
親しい関係で「これぐらいしてくれてあたりまえ」と思っていた場合、感謝してもらえないこともあるかもしれません
それに対して
「納得いかない」
「損をした」
「もっと感謝するべきだ」
このように感じてしまうのは、それが、相手から見返りを求めるための親切だったからです
それは言ってみれば取引のようなもの
親切の押し付けは相手にとって負担になるだけです
相手からもらうための親切ではなく分かち合いの親切だからこそお互いが満たされる
分かち合いの輪が広がることで周りの環境もより良いものになっていくのです
おわりに
感謝とは自然に湧き上がってくるものです
頭で考えるものでもなければ、人に押し付けたり押し付けられたりするものでもありません
感謝できない自分を否定しないで、そのままの自分を受け入れてあげてください
自分の感情については自分の心の声がいちばん確かです
自分自身と向き合い
「自分のそのままの感情を無視していないか?」
「他者と比較していないか?」
「感謝のハードルを上げないか?」
「べき思考になっていないか?」
「自分や周りのことを低く見ていないか?」と問いかけてみて下さい
思考の癖に気づくことで少しずつ感じる力を取り戻すことができるはずです
最後まで読んでいただきありがとうございます